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都塚古墳(奈良県明日香村)

 奈良にピラミッド!
 今年の夏、大ニュースになった奈良県明日香村の都塚古墳に行って来ました。

 北海道にいた時、このニュースを聞いたのですが「アレ? その古墳だったら、何度か行ったことあるぞ。ほんとにあの古墳のことかいな?」と半信半疑でした。
 ネットでニュースを見て、やはり自分の知ってる古墳だと確認。「それにしても、あの棚田の途中にある小さな古墳が、そんな大ニュースになるなんて」と驚きました。

 8月に現地説明会があったのですが、それは大行列だろうからパスして、1ヶ月後の9月に訪れてみました。おいらにとっては「やり残した夏休みの宿題」でした(笑)。
都塚古墳

 棚田へと続く小道沿いに古墳はあります(↑)。

 小山なので、普通に見ると円墳だと思うのですが、今回の発掘では階段状に石が積み上げられた方墳である、ということで、ピラミッドという言い方で発表されました。
 いや、うまく考えたものだと思います。「古墳発見しました」と「ピラミッド発見!」では、ニュースの取り上げ方が全然違いますからね。
都塚古墳

 古墳の側面を発掘していました。人の立ってる正面下部に、石段が見えます。
 つまり現在人が立ってるところより、1mくらい下が、かつての地面。そこから、小山の上まで段々に石が積まれていて、ピラミッドのような形だったというのです。

 もう、ニュースから1ヶ月たってるんで、誰もいないだろうと思ってたら、何人かずつですが、途切れることなく見学者が訪れていました。
都塚古墳

 この穴を見ると、中央で斜めに小さく1段下がって、その右側でさらに大きな段差が見られます。この段が頂上部まで7~8段あったと言われています。

 ちなみに、穴の向こうにある棚で栽培されているのは、キウイだそうです。奈良の明日香村でキウイを作ってるなんて、知らんかった。ある意味、これも驚きでした(笑)。
都塚古墳

 さて、次は被葬者。誰のお墓かってことです。
 では、写真中央(↑)の穴の奧に、石室があるので、中を見てみましょう。
都塚古墳

 おおっ、これは見事な家形石棺! 石室には、大きな石が組まれています。ここの眠っていたのは、誰か?という話です。
 被葬者について、新聞ではどかーんと「蘇我稲目」と書いてました。古墳ファンで蘇我氏ファンのおいらにとっては、稲目と聞いて、めちゃコーフン!(笑) でも、普通は知らないですよね。

 蘇我稲目は、蘇我馬子の父。聖徳太子の曾祖父です。
 活躍したのは、仏教伝来(公伝)の頃(西暦538or552年)。仏教を受け入れるかどうかで、物部氏と争います。このへんは古代史ファンにとって、たまらんとこですな。

 都塚古墳の近くには、有名な石舞台古墳があって、これも都塚と同じ方墳で蘇我馬子の墓と伝わっています。
 蘇我にゆかり地であり、「蘇我氏系の古墳=方墳」という説と合わせると、蘇我稲目というのも、信憑性が高まります。
 でも、「誰々の墓」と書かれたものが出てこない限りは、決定できるわけがないので、ホントのことはわからない、わからないから面白い、っていうのが古代史なんですよね。

 ちなみにバイク雑誌で、この古墳を紹介しようと、写真まで撮ったんですが、見た目が「畑の中の小山」みたいなので、ボツになったんですよ。
 今だったら、大きく載せられるのにねぇ。

<DATA>
場所:奈良県高市郡明日香村阪田

(訪問日:2014/9/13)

カテゴリ:歴史 奈良

 

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纏向遺跡

纏向遺跡1

 最近、新聞やテレビで「邪馬台国発見か?」とか書かれている奈良の纏向遺跡の発掘現場へ行ってきました。現地説明会の日だと、何千人もの人がやって来るんで、その前日に行って静かに見ようと思ったんです。
 そしたら、偶然にも地元の方向け説明会が開かれていて、参加させてもらえました。こういう偶然は嬉しいですねぇ。天気も雨が降るって言ってたのに、青空が広がってくれて。

 上の写真、興味のない方には、ただの黄色いパイプですが(笑)、見る人が見ると柱に見えて、その上に大きな館が見えてくる「はず」です。
 説明会では、リップサービスとして「邪馬台国」「卑弥呼」って言葉が頻繁に使われていました。説明の中にこの言葉が出てくると、やっぱり注目して聞きますからね~。
 今回発掘の一番のポイントは、建物が東西の軸線上に並んで建てられていること。東(=太陽に昇る方角)に向かって建物が並び、最後に今回発見された大きな館があります。太陽の昇る方角に立つ建物だから、卑弥呼(=日巫女)の館ではないか?いうわけです。

纏向遺跡2

 卑弥呼の時代、三輪山の麓に大規模な「都」があったのは、考古学的に確実なことです。ただ、それが卑弥呼や邪馬台国と繋がるか否かっていうのが争点なんですよね。そこがまた古代史ロマンになるわけで。
 魏志倭人伝に書かれた邪馬台国の位置は、九州でも奈良でもないから、結局、考古学的に出土した遺跡で「どちらがより邪馬台国にふさわしいか」と証明しようとしてるのが、現在の状況なわけです。だから、今回の遺構発見が大騒ぎになるんですよね。
(写真奥、黄色い柱が立っている部分が館跡。)

 もう一つ嬉しかったことがありました。遺跡で俳優の苅谷俊介さんの姿を見ることができたんですよ。苅谷さんといえば、ぼくらの世代だと石原プロの西部警察ですよなあ。古代史好きとして有名な方で、今回の発掘にも参加されてるんです。目の前に立っている苅谷さんを見ながら、あ~ホンモノや~と感激してました。

<DATA>
場所:奈良県桜井市辻 JR巻向駅北西側に隣接

(訪問日:2009/11/13)

カテゴリ:歴史 奈良

 

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植山古墳

埴山古墳1

 奈良の明日香に古墳を見に行ってきました。住宅街の一角にある植山古墳(奈良県橿原市)です。
 写真のブルーシートに覆われてるのが古墳なんですが、正面に大和三山の畝傍山、その左に万葉集に詠まれた二上山を眺めることができる絶景で、思わず、おおーっと声が出てしまいました。
 すぐ西に、欽明天皇(聖徳太子の祖父)の古墳説がある見瀬丸山古墳もあり、古代ロマンいっぱいの場所です。好きな人には、たまりませんなあ(笑)。
 写真の植山古墳は、推古天皇(聖徳太子の叔母)と竹田皇子の陵墓という説が有力なので、今から1400年前の古墳。飛鳥人と21世紀のおいらが、同じ風景を眺めるなんて、不思議な気持ちでした。

埴山古墳2

 こちらは下の道路から見上げた古墳。現在、調査中という看板が立っており、公園として整備されていました。

(訪問日:2009/9/21)

カテゴリ:歴史 奈良

 

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